虹
「よろしかったので?」 ホークアイの声がロイの耳に入ってきた。 エドワードが、猫を殺すなよと言いながら部屋を出て アルフォンスが、よろしくお願いしますと丁寧に頭を下げて部屋を出てから 数分後の出来事だった。 遠くの方で、部下の声が聞こえ、エルリック兄弟の声も聞こえてくる。 どうやら、また旅に出るのだと世間話をしているようだ。 「何がだね……食事なら」 「仔猫の事です」 仕方あるまいと言う間もなく、ホークアイの言葉で一刀両断された。 家で飼えば良いと言ったはいいものの エルリック兄弟は、旅に出てしまっていて こちらに戻ってくるのは、1ヵ月後か、はたまた3ヵ月後か…… その間、世話をするのはロイなのだと、分かっているのかとキツイ雷が落ちた。 「事件等の緊急な場合は仕方ありません、それ以外の毎日の世話をなさるという事は……」 書類を毎日、必ず片付けるというお約束と思っていいのですね ホークアイの言葉に、ロイの頬の筋肉がひくついた。 「まさか、言い出したのに世話をなさらない気で?」 「いや、その……」 「世話、なさいますよね、大佐は“私の家で”とおっしゃいましたし」 口を挟む間もなく捲くし立てられ、たじたじになったロイに ホークアイは微笑みながら、どうぞお席へとロイを机に向かわせる。 サインをする度に、擦れる紙の音が部屋に響く。 山のように積まれた書類は減るどころか増えているのが現状だ。 遠くの方で聞こえていた声は、まったく聞こえなくなった。 どうやら部下は各自仕事に戻り、エルリック兄弟は旅に出たのだろう。 折角の食事のチャンスが、と溜息を吐こうとした時。 後ろから、窓を引っ掻いている物音がした。 「何をして……」 ぐるりと椅子を回転させて、後ろに体を向けた。 大きな窓の木枠に、小さな爪痕が沢山。 「君ね、鳴くぐらいしたまえよ」 犯人は、エドワードが置いていった仔猫だった。 猫に言葉が通じる訳ではないのに、猫に対して話しかける。 木枠を爪で引っ掻いている様子を見て、すぐに仔猫を抱き上げた。 抱き上げた事によって、煩く鳴き始めた猫にロイは小さくデコピンをした。 もちろん触れるか触れないかの柔らかいデコピンなのだが。 「……君の主人は、あと2ヶ月ぐらいは帰ってこないよ」 そう猫に言いながら、顔を上げると、窓の外に七色の虹がかかっているのが見えた。 虹の中心には、赤いコートと鎧がチラチラと見える。 猫が音を立てた原因はコレかと思い苦笑した。 どうやら、猫の方が書類を持ってくる部下よりよっぽど気が利くようだ。 まぁ、見送りに行くと言い出しそうだから 言いませんでしたと、己の部下ならば言ってくるのだろうが……。 「で、君は聞いていたかい?鋼のは『俺の代わりに』と言ったんだ」 ロイは窓の外、去っていく赤いコートを見つめたまま 猫に対してぼそりと呟いた。 もちろん言葉を分かっていない猫は、大きな丸い瞳をこちらに向けて ただ一言、小さく鳴いた。 それに答えるかのように、ロイはまた猫に語りかける。 「だが、君は猫で彼は人間だ、君を差別するつもりはないのだがね 私と食事という件について、代理権をもてるのは人間だ」 分かるかね?そう言いながら仔猫の頭を撫でるロイは 何かを企んでいる様な、とても妖しい笑みを浮かべながら 窓を開け、片手に発火布をつけた。 もう片方の手に抱き上げられている仔猫は、遠くに見える主人に向かい 何回か鳴くのだが、その鳴き声が届くわけもなく 赤いコートが見えなくなる曲がり角に辿り着いた時だった。 パチンと強い摩擦の元、点火された音が猫の耳元で響いた。 「うむ、どうやら代理権を持っている者がコチラにすぐ来るようだ 君は“代わり”ではなくなった……堂々とそこに座っていたまえ」 ニヤニヤと世間で言う嫌な笑みを浮かべたロイは 自分の椅子に猫を下ろして机に凭れかかり、発火布を外した。 遠くの方で、前髪という単語とクソ大佐という単語の叫びが聞こえてくる。 それを無視して、窓を閉めたロイはクスクス笑いながら 窓の隅にかかっていた降れ降れ坊主をぎゅっと掴み外し 椅子に座った仔猫に投げ渡したのだった。 外は晴れ。 雨上がりの虹は、消える事無く輝いていた。 |