一滴の羽


自分は天使で白い羽がある。神に最も近い存在と言葉だけの尊敬で距離をおかれ
唯一頼りにしていた神は、一人のヒトの子により姿を見せなくなってしまった。
どうしたらいいのか分からなくなった。
神の存在があっての自分であり、いなくなってしまった後の事など考えもしていなかった。
ヒトの子がおそるおそる触れようとしたが、振り払って指を鳴らす。
このまま消えてしまうのも悪くない。消えたら、自分は神の元に帰れるだろうか。
ルシフェルは時空の狭間で目を閉じた。


ふっと目を覚ますと、視界に入ったのは真っ白な天井。
まるで神の羽のようだと天井に向かって手を伸ばした。
「届かない……」
どこまでいっても神に手は届かない。
力が抜け、伸ばしていた手を下ろした。何か温かいものが手に触れる。
なんだろうと体の向きを変えると、隣にはヒトの子がいた。
「ッ…!イーノック」
慌てて触れた手を離し、距離をとろうとして体を離した。
どうやら同じベッドに寝ていたようで、体を離すことによりルシフェルはベッドから落下。
「いっ…」
体に痛みを感じる。その痛みを感じて初めて疑問が生まれた。
何故、体そのものがない自分が痛みを感じているのか。
神がいた頃は、力によって制御されていた体のあり方も、時空移動の力も
痛みを感じるべきところでは感じて、時空移動が必要だと思われれば移動ができた。
しかし、神はもういないはずなのだ。
なのに何故痛みを感じる。何故、手を振り払った時に時空移動ができたのか。
今までにないほど考え頭を使うけれど、まだしっかり頭が働いてくれないようだ。
少なくともあの時、イーノックの背中と神がいなくなる瞬間を見たのだ。
神がいなくなってしまったのは間違いない。
「ん……、るしふぇる?」
寝ぼけたような声がベッド上から聞こえてきた。
隣で寝ていたイーノックが目を覚ます。分からないならイーノックから聞けばいい。
ベッドから落ちた痛みに耐えながら、シーツを掴み起き上がる。
覗き込もうとしたところで起きたイーノックと目があった。
「おはようルシフェル」
「あ、あぁ……」
姿も声もイーノックなのだが、何かが違う。
何が違うのだろうと思い黙り込んでいると、イーノックは淡い笑みを浮かべてルシフェルの頭を撫でてきた。
「この時代のルシフェルじゃない、貴方はいつの?」
この言葉に驚き顔を上げる。イーノックの表情を見て何が違うのかが分かった。
つい先程まで側に居て、自分がサポートをしていたイーノックはこんな大人びた表情を見せる事はなかった。
素直で純粋に微笑んでいて、どちらかというと子供っぽい表情をみせていたのに

声をかけてくるコイツは誰だ?

急に怖くなる。イーノックならばイーノックで、しばらく話をするのは避けたかったのだが
「あぁ……私を見て戸惑うという事は、あの頃かな」
ベッドから足をおろして立ち上がったイーノックは、ぐっと伸びをした後ルシフェルの頬に触れてきた。
振り払うことができない。どうしてしまったのだろう、このイーノックはどうして。
「ここの時代の貴方は、素直にベッドで寝てくれるのに……ここ以外の貴方は、本当」
空気を裂くような音がした。同時に頬に痛みが走る。
驚きのあまり目を見開く。自分の身に何が起きたのだろう考える間もなく腕を引っ張られた。
「イーノックっ…何を」
「あぁ懐かしいね、その名前……ヒトであった時の名だ」
引っ張られすぐに肩をぐっと押され、ベッド上に戻る。
イーノックの言葉を理解するのに時間はかからなかった。
「どうして……ヒトであり続けると」
旅が終わっても、神に何を言われてもヒトであり続けると思っていたのに。ヒトではないなら何なのだ。
押さえられた肩が痛い。ルシフェルの表情が歪む。
「痛い?神がいなくなったのに、どうして痛みを感じるのだと思う。どうして時空移動できたと思う」
イーノックは強く肩を押さえたまま動く様子はない。
逃れたいが力では叶わない。ならば、指を鳴らして元の時代に戻ればいい。
しかし、いくら鳴らしても力が発動する事はなかった。
イーノックから笑い声が聞こえてくる。彼はこんな笑い方をするヒトだったのだろうか。
身を捩るが押さえられた肩だけはどうしても動かない。
だんだん体力もなくなり、ルシフェルは動けなくなって力が抜けた。
「ヒトであり続けたかった私を、ヒトじゃなくしたのは君の大好きな神様だよ」


イーノックの頬に一滴。


頬に触れようと手を伸ばしたが、イーノックに振り払われた。
払われた自分の手を見て、同じ事をイーノックにした事を思い出す。
神が消えたのはイーノックの手によってではなく、自ら消えただけであったら。
ヒトでなくなったのならばあの時しかない。それまでイーノックはヒトの子であったのだ。
なんて声をかければいいのだろう。考えても無駄なのは分かっている。
今のイーノックには何も伝わらない。
「神は神である事をやめた、代わりに私はヒトでなくなってしまった。私が頼りにしていた貴方は時空に逃げた。」
貴方に罰を与える。そう言ったイーノックの背に大きな羽が見えた。

神の羽のように真っ白な羽。
ヒトではなくなったのなら天使なのか、それとも神なのか。
羽をじっと見つめていると、イーノックの両手が首元へとやってきた。
冷たい手が首に触れて身震いする。
「神がいなくとも、私の力で貴方に時空移動の力を与えることが出来る」


痛みもだ。


イーノックの両手に力が入った。