箱庭の運命
名もなき小さな島。ここでは毎日のように争いが起きヒトの命が消えていった。 不思議な事に命が一つ消える度に、島に雨が降る。 時に起きる大きな争いは大雨となり争いを止めた。 旱魃時には恵みの雨だと喜ばれ、どうして雨が降ったのかを考えもしなかったが 島の争いが止まらなくなり雨が止むことをやめたその時。 人々はようやく、争いをしている場合ではないという事に気づく。 争う事に反対をしていた数名が代表となり人々をまとめ、一時的に島に平和が訪れた。 しかし、雨は止まない。 もう争いはなく、ヒトの死もないのに雨は止まなかった。 それどころか雨脚は酷くなり、島から太陽が消える。 この島の人々は死滅。物語はここで終わり。 「どうしてですか、争いは終わったのに……」 幼いイーノックは泣きながらルシフェルのジーンズを掴んだ。 「イーノック……君がもう少し大きくなったら止めれるのかもしれないな」 頬を伝う雫を指で掬い上げて頭を撫でた。 どういう意味だと首を傾げたが、途中で考える事をやめたのだろう。 イーノックは泣くのをやめて意気込んで言葉を放った。 「止めますっ!私にできるのならば」 そんな昔話を思い出したのか、ルシフェルの部屋に訪れたイーノックは あの島は地上のどこにあるのだと聞いてきた。 今ならば、神に頼んでなんとかしてくれるのではという事らしいのだが。 まさか今になって、あの島の話をもってこられるとは思っておらず ルシフェルは苦笑しながら島の資料を机に投げた。 「君は相変わらずだな、行くならば力を貸すが……この島に関しては連れて行くまでしか出来ないぞ」 他のサポートは業務外だと言い放つ。 それでもイーノックは連れて行ってくれるだけでいいと思い。 大丈夫なのだといつもの言葉を放ち、島へ向かうこととなった。 机に投げられた資料は見ていない。その資料には雨の原因も解決も書いてあったのだが それを見ないのも、ヒトの話を聞かないのも幼き頃から変わらぬままであった。 この時、もう少し話を聞いて資料を見ていれば何か変わったのだろうか。 ルシフェルは片手で己の鎖骨部分を触りながら指を鳴らした。 空間が歪み、イーノックが姿を消す。少し開いた窓から風が流れ込んで島の資料が舞った。 イーノックが到着したのは、島の中央にある林であった。 鳥の鳴き声や木々のざわめきを聞きながら前へ前へと進む。 ルシフェルの部屋へ向かう前に、イーノックは神に会って話をしてきていた。 昔聞いた島の話を伝えてどうにかしていただけないかと頭を下げる。 しばらくの沈黙の後、神からどうしても救うのかと問われた。 救いたいと幼き頃に思った気持ちは変わっていない。 救いたいのだと伝えた。それに対して神は、ならば救おうと答えを出してくれた。 準備にイーノックの力がいるのだと言われて喜んで力を貸すと返事をする。 イーノックがしなければならない事を、神は静かに教えてくれた。 ルシフェルの力で島に向かう事。雨の原因となったモノをなくす事。 原因は争いではないのかと問うが、神は一言だけ言い放ちそれ以降黙り込んでしまった。 『自分の目で確かめ、動けば良い』 何も答えをくれはしなかったが、神は救うと約束してくれた。 ならばそれを信じて進めばよい。何も問題はない。 林から村に出て、村人たちに話しかける。 話を聞いていくとイーノックが到着したのは、大きな争いが起きる前のようで、まだ雨の原因が分かっていない。 村人は、稀に降る雨を恵みの雨だと喜んでいた旱魃の時期だ。 雨の原因をなくさなければならないのならば、争いの途中ではなく争いをする前にという事なのだろうか。 自分の目で確かめ、動けばいい。それを思い出しイーノックは村人たちと話をし過ごす事となった。 争いさえ起きなければ雨が降ることもない。 平和に暮らせるよう導いていけばいいのだと、微笑んでいたイーノックはある事に気づいた。 このまま争いが起きなかったら、別の方向で島は滅びていくのだと。 ヒトの死で雨が降る。それはルシフェルから聞いていたからイーノックは知っている。 しかし島の人々はその不思議な出来事を知らない。 そして今、この島は旱魃時期に入ったまま。 少しの間過ごして分かった事は、村人たちは今日生きるのに必死だという事だ。 もし、ヒトの死で雨が降る事が分かってしまったらどうなるだろう。 今日生きるのも必死なぐらい水が不足している状況で、知ってしまったら。 終わってしまう。知らずとも知ってもどちらにしてもこの島は終わってしまう。 争いは駄目だ、悲しみしか生まない。それはもう堕天使の捕縛の旅で分かった事だ。 ならば村人は知らぬまま、旱魃をどうにかしなければならない。 イーノックの力では争いを起こさせないようにする事が精一杯。 旱魃に関しては、もう神の力を頼るしかなかった。 「大丈夫だ……神は救うと言ってくれた」 言い聞かせて過ごす日々。 このままいけば争いはなく、おそらく神の加護にて島は救われる。 そう思った矢先の出来事だ。 村人が騒ぎ出し、イーノックは目を覚ました。 まだ太陽が顔を見せてもいない薄暗い時間。どうしたのかと村の広場を覗くと 見知らぬ青年らしき人物が、茶色の布を深く纏った状態で立っていた。 村人ではない人物が村に来る事は決して珍しいわけではない。 イーノックがいい例である。しかし、今回は様子が違っていた。 「本当か?本当に教えてくれるのかっ」 突然現れた人物を囲む村人たち。村人の目は輝いて見えた。 「教えてくれ、どうしたら……雨は」 様子を見ていたイーノックは体を震わせ、慌てて駆け出し広場の中央に出た。 雨が降る方法を教えるとは、どういうことか。 何かを言おうとしている青年の前に来て、イーノックは驚きその場から動けなくなった。 茶色の布の先には忘れるはずがない覚えのある顔。 「ルシフェル……?」 ルシフェルにそっくりの容姿、いやそのままの姿だ。 イーノックの声が震え、まともに言葉を喋れなくなる。 どうしてここにいるのか、何をしようとしていたのか問い詰めたいのに声が出ない。 「君は雨が降ってほしくないのか?」 ルシフェルに似た姿の彼は、イーノックに声をかける。 言葉の意味に気づき慌てて首を横に振った。 ここで降ってほしくないなどと言えば、村人の多くが敵視するだろう。 降ってほしい。確かに降ってほしいのだ。ヒトの死で降る以外の方法で。 村人たちに話をさせてほしいと願い、イーノックは彼を村から連れ出した。 林の入口前。木にもたれながらこちらを見てくる彼は、イーノックの知っている彼ではない気がした。 「何を話すんだ?」 「……雨の降る方法を、本当に知っているのか?」 名前を聞こうと思ったが、万が一“ルシフェル”という名が出てきてしまったら考えるだけで怖い。 間違いだと思いたいがために、彼に名を聞くことはしなかった。 「知っているも何も、私が止めている……お前はどうやらヒトではないようだから 教えておいてやるが、下級種族に構っている暇があるならこの箱庭から出て行くんだな」 「下級ッ……貴方は」 彼の布に掴みかかったところで言葉に詰まった。 イーノックの知っている彼であるならば、ヒトを下級種族などと言わない。 彼はルシフェルではない。顔が似ているだけの別の生き物だ。 勢いで掴んだ布を放してイーノックは彼に背を向けた。 「神は救うと約束してくれた、降る方法を村人に伝えるのはやめてほしい……」 もう少し待てば、きっと神が助けてくれる。 村に戻ろうと足を進めたところで後ろから笑い声が聞こえてきた。 振り返り彼を見る。何を笑っているのだろう、ただ待ってほしいと願っただけなのに。 「神が救うと?それで、お前のような余所者がこの箱庭にいたのか」 「何を言って……どういう意味だ」 彼は武器を持ち出した。覚えのあるアーチと呼ばれる武器、浄化される前の堕天使が使っていた武器だ。 「まさか、堕天…っ」 アーチは濁った色で染まっており、イーノックに向けられた。 「手を出す事ができない神が、唯一この箱庭を救える方法、知らずに来たのかお前は」 一歩でも動けばアーチが身を切り裂くだろう。イーノックは動けぬままじっと彼を見つめた。 風が吹いていないのに葉の重なる音がする。 やらねばやられる、一瞬の出来事。イーノックは彼に蹴りをいれアーチを地に落とした。 すぐに手に取り浄化をする。アーチは輝きを取り戻して今度は彼に向ける事となった。 この先、どうすればいいのかイーノックには分かっていない。 ただ彼は何かを知っている。 雨を止めていると言ったが救える方法を知っているのならば、何故救わないのだ。 ルシフェルに似た姿の彼に武器を向けるのは心が痛む。 出来ることなら武器など使わず島を救いたい。 イーノックがアーチを仕舞おうとした時、後ろから何か音が聞こえてきた。 村の子供達が数名。農作業に使う鎌を持って立っていたのだ。 「どうしたんだ、話は終わったからすぐ村に……」 「こいつ、殺したら!!雨、降るんでしょう」 子供達の言葉に驚き、手に持っていたアーチが地に落ちた。 どこから話を聞いていたのだろうか。イーノックはふと先程の葉の音を思い出す。 「すぐ側で聞かれていたようだな、で……やるのか?」 振り返ると笑みを浮かべている彼が手をゆっくりと胸の位置まで上げていた。 子供達は今にも飛び掛りそうで、彼は子供達に対して何かをしようとしている。 緊迫した空気に包まれた。 駄目だ。子供達にさせてはいけない。 その思いが頭を過ぎり、イーノックはアーチを拾い上げ彼に向かって攻撃をした。 赤色が散る。それでも彼は笑っていた。 「唯一この箱庭を救える方法、お前の浄化の力だよ」 はっと顔を上げて彼を見た。彼の姿が半透明になりゆっくりと消えていく姿が見える。 村人はあくまでヒトだから浄化をする事はできない。 しかし、イーノックは別だ。ヒトの子でありながら浄化するという力を持っている。 頬に水が当たった。雨の匂い。 子供達は喜び回りながら村まで走っていってしまった。 悪を倒したから雨が降る、恵みの雨だ。しかし、イーノックは素直に喜べないでいた。 完全に倒したというわけではないのに彼は消えてしまった。 何がどうなっているのか頭の中で整理をしようとするが、なかなか上手くいかない。 とりあえず村に戻ろうと足を進めたところで、指の鳴る音が聞こえてきた。 空間が歪む。島に来た時と同じ感覚だ。 「ルシフェル!!まだ、っ……」 救いなど出来ていない、救えていないのに何故戻すのだと、イーノックは叫んだ。 叫び声は誰にも届かなかったけれど 舞ってしまった資料を一枚、一枚、手に取りながら整理をしていたルシフェルに 戻ってきたイーノックが怒鳴り込んできた。 息が荒く、勝手に戻した事に怒りを感じているようだ。 「何を怒っている……救っただろう、原因は消えたのだし」 「まだ救えてなどッ」 消えたのは雨を止めていた彼だ。原因だとしても、消えただけでまた現れるかもしれないのに。 どういう言葉で伝えればルシフェルに理解してもらえるだろうか。 悩んでしまって言葉が出てこない。 少し沈黙が続いた後、ルシフェルがイーノックの目の前に島の資料を出した。 その資料には、争いはなくなったと書いてありその横には原因消滅とも書いてあった。 旱魃時期も越えて、その場は平和になったという内容の資料。 それを見て、イーノックはホッと安心して息を吐いた。 「神にお礼を言ってくる!!」 資料を机に置き、イーノックは部屋を去っていった。 イーノックが置いた資料を手に取り、ルシフェルは小さく笑う。 「馬鹿だな、下級種族に構っても……箱庭の運命は変わらないのに」 資料には、その場は平和になったと書いてある。 しかし今、地上の“その場”に島はなかった。 島がないからヒトもいない。ヒトがいなければ、雨が降ろうとも旱魃時期に入ろうとも その場所は平和なのだ。あくまでその場所であり、あの島ではない。 「考えも甘いが、力まで甘いなイーノック」 ルシフェルは片手で己の鎖骨部分に触れた。 イーノックが島に旅立つ前には見られなかった傷跡が鎖骨に刻まれている。 それは、切り傷。神の刃アーチで刻まれた小さな跡であった。 |