貴方に捧げる -1-
地上へと向かう途中、ビニールの傘と呼ばれるモノを持ったルシフェルが イーノックの体を受け止め、空中で突然、姿を現した。 「地上へ行くのはストップだ」 イーノックの耳元で、パチンと指を鳴らす音がした。 気づいた時には、地上へと向かう前の場所に戻っている。 降り立つ足音が聞こえ、音のした方に視線を向けると ルシフェルが傘を閉じている様子が見れた。 意気込んで行こうとしていた所で止められ、しかも理由は分からない。 もやもやした気持ちをどこにぶつけようとイーノックは口を開きかけた。 「しばらくサポートが出来ないんだ、すまないがストップだ」 サポートなしでもいいならば結構だが、さらりと言われた一言に イーノックは、これでもかと思いっきり左右に首を振る。 そして出来ない理由を聞こうとルシフェルの目の前に立った。 「天界で、癒しの儀式がある……戻るのが必須だ」 とても嫌そうな表情を見せる、儀式が嫌なのだろうか それとも天界に戻るのが嫌なのだろうか……。 「行ってくるといい、だい」 「何を言っている、イーノックお前も天界の者だろう」 大丈夫と言いかけて言葉を止められた。 この言葉から考えると、イーノックも癒しの儀式とやらに参加しなければならないようで 参加するしないは別としても、天界には戻らねばならぬようだ。 ルシフェルに、ぐっと腕を掴まれもう一度指を鳴らす音が聞こえる。 嫌そうな様子を見せながら行動はすぐにするらしい。 心の準備をする間もなく、イーノックは久方振りに天界の地へと足を踏み入れた。 天使の庭と呼ばれる広い場所に下ろされると、周りに居た天使がこちらを向き頭を下げた。 ルシフェルは大天使なのだから慣れている事かもしれないが 元書記官として頭を下げる側に居たイーノックからすると 沢山の天使たちに頭を下げられるこの行為は、いつまで経っても慣れる事はない。 大天使と呼ばれるルシフェルが側にいるから同じく頭を下げられるのだとは思うのだが なんともいえない気分だ。 「儀式は明日だ、今日はゆっくり休むといい」 イーノックにそういい残し、肩を鳴らしながら足を進めたルシフェルは自室に戻ったようだ。 周りに居た天使たちも姿を消し、イーノックは緊張の糸が切れた。 そよ風が頬を撫で、葉の擦れる音が聞こえてくる。 その音に混ざって小さな足音がイーノックに近づいてきた。 「あ、あの、イーノック様」 「ん?」 後ろから声が聞こえ振り向くと、頭を下げていた天使の1人が居た。 天使の手には見覚えのあるローブがかけられている。 「ルシフェル様がこれをと……」 手に持っていたローブをイーノックに渡すと、すぐに頭を下げ天使はその場を去って行った。 受け取ったローブは、まだエルダー評議会にて 書記官として仕事をしていた頃に着用していたモノであった。 一番いい装備としてルシフェルが用意してくれた防具は、戦闘に役に立っても 天界での儀式には着ていられないようだ。 突然言い出した事だと思っていたが、ちゃっかり衣服まで用意されているところを見ると 儀式にイーノックを連れてくるのは決めていた事だという事が分かる。 イーノックはローブを片手に持ち庭をあとにした。 地上に降り、戦いを始めるようになってから天界に来る事が少なくなった。 天界にイーノックの部屋はあったものの部屋に帰るという事をせずに ルシフェルの部屋に入り浸るという事をしていた為 イーノックが自室に入るのは久しぶりであり少し懐かしく感じていた。 手に持っていたローブを椅子にかけ、防具を外しベッドに寝転がる。 それなりに天界で過ごし仕事をしてきたが、儀式というモノは初めてだ。 面倒だと指を鳴らすルシフェルが嫌そうな表情を見せながらも 儀式に参加する為に天界へと足を運ぶ。 それほど、今回の儀式は大事なモノなのだろうか……。 そしてそれは、自分が参加してよいものなのだろうか。 地上に降りれば戦いが始まり、それ以外の時は側にルシフェルが居た。 こうやって1人になって色々と考えるのは、イーノックからしてみると珍しい事。 ヒトとは珍しい事を行うと、普段よりも疲れる体を持っている。 慣れない事はするものではないと、イーノックは静かに目を瞑った。 世が明け天界に朝がやってくる。 眩しい光が部屋に入り込み、寝ていたイーノックを起こした。 欠伸をしながら伸びをしてベッドから降り、椅子にかけておいたローブに着替え始める。 「着替えたか……」 扉の方から声が聞こえ振り向くと、いつもとは違う格好のルシフェルが姿を見せた。 黒い服装から白いローブへと着替えたようで、いつも上げている髪も下ろされていた。 前髪の間から見える赤い瞳と口から出てくる言葉などは変わりないのだが とても新鮮であり、滅多に見れない姿だ。 「ルシフェル、貴方も着替えたのだな」 「一応ね、正装しないといけないらしい」 まったく面倒な事だと、ルシフェルは溜息を吐いた。 じっと見てくるイーノックの側に近づき、頬を撫で髪を梳いた。 「久しぶりに見たが、その服も似合っているよイーノック」 首筋を撫でながら耳元で囁いた。 イーノックは顔を赤らめ慌ててルシフェルから1歩離れる。 その様子を見て小さく笑ったルシフェルは、近くにあった机に凭れかかり儀式の説明を始めた。 癒しの儀式、名の通り癒す為に行われる儀式だ。 天使がヒトの子に癒しを与えることはよくある話だが 今回の癒しの対象は天使たち、下級天使から上級天使、大天使まで 天界に住む全ての天使が参加すると言われている。 話を聞くと参加したくなくても、しなければいけない理由があるらしい 「儀式終了までサポートが出来ない、ヒトの子である君が参加しても意味はない儀式だが すまない、終了まで我慢してくれ……これを機に休息しているのもいい」 休息という言葉を聞き、イーノックは自分がゆっくりしている姿を思い浮かべたが 想像がつかなくてすぐに考えるのをやめた。 「儀式を見る事ができるだけでも素晴らしい事だ」 参加する事は天使でないと出来ないにしても、見る事は許されている。 天使に対しての儀式を、地上にいるヒトが見る事はできないのは普通だが 天界に居ることで、イーノックは唯一見る事が許されているのだ。 「ルシフェル、嫌そうに見えたが……嫌なものなのか?」 儀式の説明をしている時も天界に来る前も、ルシフェルの嫌そうな表情は変わらない。 心配そうに見てくるイーノックを見て、ルシフェルは机に凭れる体勢をやめた。 「儀式そのものは嫌な訳ではないんだがね……イーノック、何を聞いても動かない事だ」 よく分からない一言を残して、ルシフェルは部屋を去っていった。 儀式そのものは嫌ではない、という事は逆に考えれば儀式以外に嫌な事があるという事になる。 そして、これからイーノックが何かを聞くような発言も気になる。 「……私に話すことは、してくれないのだな」 聞くに聞けない状況、話してくれない事、全てが少し悲しいと思った。 同時にその事実を口にして、更に悲しくなる。 問題となった儀式までの時間は少しずつ迫っていた。 先に行ってしまったルシフェルを追うように、イーノックは自室を出る。 癒しの儀式は、天使の庭で行われると先程の説明で聞いたばかりだ。 話を聞かないからと書記官の頃から何度も教えられた天使の庭へまでの通路を通る。 天界全体での大きな儀式だと動き回る者も多く、沢山の天使たちと擦れ違った。 その擦れ違う天使の中には、普段見かける事の少ない大天使たちも含まれる。 忙しそうに動き回っていた天使たちがピタリと足を止め一斉に頭を下げた。 誰なのだろうとイーノックは天使たちが頭を下げている方向に視線を向ける。 「四大天使……?」 視線の先に居た天使は、天界にてルシフェル同様 神に近いと呼ばれている四人の天使たちだった。 |