暇つぶし -2-


暇つぶしというものは本来、暇だから出来ることであり
暇でない人が出来ることではないと思う。
天界に上がってきてから数日、色々手続きもあったのだろう
書類の山がなかなか消えず仕事に追われていたところ
突然現れた怪しい人、名をルシと名乗った。
毎日、毎日部屋に現れてイーノックを見ながら書類を手に取り
最後には、これも頼むよなんて言いながら新しい書類を置いていく。
聞けば暇つぶしと言うが、イーノックからしてみると
ただ仕事を押し付けられているような気がしてならない。

神に仕える身になれるのは本当に嬉しかった。
手続きの関係があろうがなかろうが、仕事が貰えるのは素晴らしい事で
地上にいた家族と離れる事になったのは少し寂しかったが
天界に住み、生きる事ができるのは幸福であることに間違いはなかった。
ただ、来てみて思えたのは天使もヒトとあまり変わらないという事。
羽があり飛ぶ事ができるのと、上級天使にだけ特別な能力があるぐらいで
暇つぶしなどと言いながら仕事を押し付けてくるモノが居たり
書類の処理をしなければならないというような点については
地上でもよくある事だと思われる。
天界に生きるとはいえ、イーノックはヒトの子だ。
羽や特別な力を使うことは、どんな事をしても無理なのだが
資料を参考に作り上げる書類などは処理する事が出来る。
しかし、出来るからといって全てをやらなければならない訳ではない。
最初は部屋に無断で入って来て、仕事をしているイーノックの様子を
じっと見つめて去っていくだけだったのに
数日後には、自分の仕事をイーノックの部屋に持ってくるようになった。
挙句は頼むと言って部屋を出て行ってしまう。
神に話す機会がある時にでも相談してみようか
それとも、後から来た者に与えられる天界の試練なのだろうか
頭を抱え悩んでいたところで、悩みの原因となる声が聞こえてきた。
「イーノック、今日もお邪魔するよ」
笑みを浮かべながら、ノックなしで入ってくるのは
ここ最近、見るのが当たり前となってきたルシフェルの姿。
天使の姿としては珍しい黒髪、黒服の真っ黒な格好で
羽を使って飛ぶ事なく、歩いて部屋に入ってくる。
「今日も、暇つぶしですか……」
「あぁ、そうだな」
嫌なら部屋から追い出せばいいと笑顔で言われたが
追い出す事が出来ないのがイーノックだ。

本日、イーノックは仕事も用事もなく時間に余裕ができていた。
ゆっくり休息をとるのも良いだろう、普段行く事のない散歩に出るのも良い
どう過ごそうかと、少し楽しみにしていたのだが
ルシフェルの訪問によって、考えるという楽しみさえなくなってしまった。
「さすがだな、イーノック……もう終わったのか」
部屋に入ってすぐ、ルシフェルは机の上の書類を見た。
その書類は、イーノックの書類とルシフェルの書類が混ざっている。
頼むと言って置いていったものの、まさか本当にやってくれるとは思っておらず
今日はこの書類を回収し処理に来たわけなのだが
どうやら、イーノックのおかげで回収だけで済みそうだ。
「終わってるのでさっさと持っていって下さい」
「なんだ、今日は冷たいな」
今日ぐらいはゆっくりしたいとベッドに座っていたイーノックの隣に
遠慮もなく座ったルシフェルは、言葉を交わしながらイーノックの毛先に触れた。
触れてしばらく経った時、イーノックの手がルシフェルの手を払った。
「あ…いや、その」
相手の手を払うなど、相当邪魔にならない限りしない事。
いや、邪魔になっても普段のイーノックであればしない事だ。
払われたルシフェルよりも、してしまった本人が一番驚いているようで
その様子を見て少し笑ったルシフェルは、ベッドから立ち上がり机の側に向かう。
積み上げられた書類の中から数枚取り出し、イーノックの方に体を向けた。
「また明日、お邪魔させていただくよ……気にすることはない、ゆっくり休むといい」
そう言い、ルシフェルは部屋を出て行った。
ルシフェルがベッドから立ち上がって書類を持つまでの間
気にする事はないという言葉が出てくるまでの間
イーノックは、手を払ってしまった事に対してどうしようと不安な表情を見せていた。
するつもりはなかった、嫌だとも思っていなかった
今日は疲れていただけで、伝えようにもそんな言い訳しか思い浮かばない。
イーノックが口を開く前に、ルシフェルは分かっているから大丈夫だと口にした。
「よかった……」
ホッと息を吐いて、イーノックはベッドに寝転んだ。
何がよかったのだろうか、寝転びながら少し考えた。
よかったという言葉、心の中で思った事が口に出た。
休息がとれる事がよかったのか、それともルシフェルが去っていた事か……。
「ルシに……嫌われてない」
イーノックがよかったと思った事は、休息の事でも去っていった事でもなかった。
ルシフェルに嫌われたかもしれない、それが不安になり
そして、明日来ると言われ嫌われてないと思った瞬間不安は消えた。


数枚の書類を持ち、ルシフェルはイーノックの部屋を出た。
イーノックの不安そうな表情を思い出し、思わず笑みがこぼれる。
「イーノック……ゆっくり休むといい、これは私からのサービスだ」
イーノックの部屋に背を向けたまま、書類を持たない方の指をパチンと鳴らした。
部屋の周りだけ少し空間が歪み、すぐに歪みは元に戻る。
元に戻ったのを感じ、少ししてルシフェルはゆっくりと歩き出した。
もう少しでルシフェルの部屋にたどり着くという通路の途中。
あまり天使たちも近寄らない大天使が通るの通路に人の姿が見えた。
「ミカエル」
「珍しい……お前が時間移動した訳ではないのか」
ルシフェルと並ぶ大天使の1人、ミカエルがルシフェルをじっと見つめ声をかけてきた。
しかしその言葉を無視して、横を通り過ぎようとする。
真横に並んだ時、またミカエルの口から言葉がこぼれた。
「ヒトの子に夢中だそうだな……アレのどこが良い」
通り過ぎようとしたルシフェルの足が止まった。
「個人的に気に入っているんだ……手を出すなよ、ミカエル」
静かに放たれた言葉がミカエルに重く響いた。
「ルシフェル……お前」
ミカエルの言葉を背で受けながら、ルシフェルは足を進めた。


「なに、ただの暇つぶしさ」